言とインドカレー

言語学と言語学オリンピック

言オリの出題範囲

ふるほむです。この記事は言オリの出題範囲, つまり国際言語学オリンピックで出題された問題が言語学のうちのどの分野をカバーしているのか, 求められる知識は何なのかを示します。具体的な話はしませんが, 言オリと言語学の関連性が知れたり, 言オリから言語学に入る人が今までの経験を位置づけるのに役立ったりするかもしれません。

より具体的なジャンル分けの話もこの先記事にする予定です。もっと具体的なジャンルごとの解説はこれから書くウェブ教科書の一部として載せると思います。

言オリで出る言語学の領域

やることは言語の記述

言語学とは言語を研究する学問なわけですが, ひとえに言語学といっても研究領域が幅広すぎるので扱う対象や方法, 目的, 歴史的経緯によって様々な下位領域に分けられています。例えば以下のような分類があります。

  • 研究段階の違い (観察→記述→説明)
  • 一つの言語を見るか・いくつかの言語を比較対照するかの違い
  • 記述文法と規範文法の違い
  • 共時的 (ある一時代における言語体系を見る)・通時的 (歴史的な変化を見る) の違い
  • ランガージュ (ヒトが持つ言語能力)・ラング (ヒトが社会的に共有している言語)パロール (個人の発話) の違い

言語学オリンピックも言語学の研究領域をすべてカバーしているわけではありません。国際言語学オリンピックで出題された問題でやるべきことのほとんどは「記述言語学」の分野に収まっています。言語を記述する際には捉えるべきものを捉えられるように上で述べた分類のうち太字になっている方の特徴をおさえておく必要があります。一つずつ見ていくと

  • 研究の段階としては言語データの収集, 分析, 調査 (観察) と観察結果の一般化 (記述) をするものであり, なにか理論に基づいて現象の動機を説明するものではありません。
  • 観察・記述は個々の言語ごとに行い, ある言語と他の言語の相違点を見るのはまた違う研究です。
  • 今使われている言語のありのままの姿(記述文法)を研究対象とし, 教育や統治のために作られた文法である規範文法はふつう研究対象としません。
  • 同様に観察・記述はある時代の言語の状態に限定して行い, 歴史的な変化を考慮するのはまた違う研究です。
  • 最後のカタカナはソシュールの用語なので軽く解説すると「人間は生得的に言語を喋るのに必要な能力 (ランガージュ) を持っており, 社会の中で語彙や文法といった約束事 (ラング) が生まれ, ラングに照らし合わせながら一人ひとりがある場面において言葉 (パロール) を発するのだ」という考えに基づく用語です。ランガージュの研究は脳内の言語処理なんかを対象にし, ラングの研究はある言語を話す人間集団が共通理解として頭の中に持っている文法などを対象にし, パロール*1の研究は同じ言語を話す人間集団の中に存在する個人間の差異などを対象にします。

まとめると, ある言語の共時的なラングの状態を観察・記述するのが記述言語学です。この記述言語をやるのが言語学オリンピックです。

参考に言語学の中で記述言語学以外の領域にどんなものがあるのかというと, たとえば記述結果に基づいてその現象の動機や理論的背景を説明することを目的とする理論言語学 (代表的なものに生成文法, 認知言語学), 記述結果に基づいて言語間の相違点を見る対照言語学や通言語的に文法特徴をタイプ分類し通言語的な傾向や文法特徴同士の相関などを研究する言語類型論, 言語間の差異から系統関係を明らかにしたり祖語を再建したりする比較言語学, 言語の歴史的な変化を研究する歴史言語学や特に言語間の差異と文化の伝播や地理的分布などを証拠にある言語の変化の原因として他の言語からの影響を考える言語接触の研究, 言語産出にまつわるヒトの脳内の神経回路の働きを研究する神経言語学, 言語を言語外の社会や文化と結びつけて研究する社会言語学*2などがあります。他にも応用言語学, 言語哲学, 自然言語処理など, 言語学と他の分野の中間のようなものもあります。

記述には類型論が役に立つ

ここまで記述とはなにかという話をしてきました。客観的な分析のためには研究段階や態度を切り分ける必要があります。

しかし言オリを解く人や記述言語学者は未知なる言語に相対したとき, 仮説を立てたり記述結果を受け止めたり説明をしたりする段階では他言語の研究で用いられてきた概念言語類型論の知識をフル動員させます。さらに記述が終わった後も当該言語の特徴をつかむために自分の知っている他の言語と対照したり類型論的な位置づけを考えたり, あるときには類型論研究が導き出した(または言オリを解く人なら自分が考えていた)言語の普遍性に対して反例を出したり支持する結果だと述べたりします。このように記述をするにあたっても類型論を始めとする記述以外の分野と支え合うと深いことができます(逆に類型論的バックグラウンドのない記述は見るべきところを見れていなかったり, 言語のしくみを正しく言葉にはしているけれど変な一般化をしてしまっていたりします)。ただし答案に書くのは記述の部分だけで, 言語の普遍性について書いたりはしないし背景知識の有無を問うたりはしないので, 前節では「記述言語をやるのが言語学オリンピック」と言いました。

おそらくこれを強調しすぎたのが「言オリは知識が要らない」という言説です。実際は前述の通り背景知識や分析手法に関する経験・知識がないとちゃんと解けません。「言オリは言語学と関係ないパズル」というのも同様で, 記述手法だけを取りざたにし, さらにその分析手法が他の謎解きなどと共通していることをことさらに強調した言説です。一種のパズルだという表現は良いと思いますが言語学と関連がないというのは言い過ぎです*3

以上を踏まえて言語学オリンピックにおける「出題範囲」を考えると, 言語記述の手法がまず一つ, さらに背景知識として言語類型論 (+どの領域でも使うので○○言語学とは名づけようのない一般的な知識) が求められていると言えます*4

*1:個人的な考えですが, ラングという共有物かつ抽象的なものと, パロールという個別的かつ実体的なものの間に個別的だが抽象的なものが存在すると考えた方が良いと思います。個別的だが抽象的なものというのはある個人が脳内に持っている規則の体系でラングとは微妙に違っていて, たとえば誤用分析の対象になっているものがこれにあたります。それに対してパロールの研究は生み出されたもの自体を見る文学研究などを指すと考えます。パロールの研究に社会言語学があたるという考えをどこかで見たことがありますが, 社会言語学が対象としているのは使用集団が限定されただけのラングだと思います。

*2:これは記述に含めることもありそう

*3:IOL2019の団体戦などに関しては自信がなくなりますが……とはいえ新体操の表記法には線状性があったり, RNAには二重分節性があったりするので言語の特徴からそんなに外れていないし, 言語学と絡めて考えられはするなあと思いました。ただしバーコードはよく分からない

*4:なお注意点を補足すると, これは傾向でしかなく記述言語学以外が出る可能性を否定はできません。実際, 比較言語学はIOLでの出題経験がありますし上では挙げていない計算言語学の分野はNACLO(北米予選)等ではしばしば出ます。比較言語学は手法や必要な知識としては共時的な音韻体系の記述と共通するところがあるので手法/知識が同じならいいでしょみたいな雰囲気で出題されたんだと思います。計算言語学的な問題はIOL的には完全に非典型でNACLOの出題範囲はIOLと異なっています。